老いるということは絶望の一つなのかな

50代ポジティブライフ

幼い頃から絶望を知っている少数の人が存在することは聞いているけど
それは何か外的な要因があることが想像できる。
人は生まれた時からとても幸運であれば、年老いていくと決まっている。
それでも一年一年なのか、ある時突然なのか、
年齢を重ねていることを悲しむ
アンチエイジングだの美魔女だの多くのエネルギーをかけたくなる。

私が思うにアンチエイジング諸々は、老いに抵抗することを楽しむ娯楽だ。
みんなどっかでどんなに努力しても大金をつぎ込んでも老いは止められないことを知ってて
その上で「誰が一番ゆっくり年を取るのか?」というゲームを課金したり時間をかけたりして楽しんでる。

私たちは子供の頃、給食にプリンが出ると大喜びしたり友達を喧嘩をすると自分にはもう居場所がないと思ったりする。大人になるとたいしたことじゃないと思うのに人生経験が少なくて世界が狭い幼い頃は目の前の世界の中で必死に悩んでいる。
はじめて社会人として働き始めた息子たちに「あるある、そんな失敗いっぱいしてきたよ!」と笑って言えたのは私自身がいくつかの経験をし彼らよりも広い視野で心配ないことを知っていたからだ。
そしてこの頃は、体の衰えや病気や治療を経験してる。
世間に出ればババアと陰で言われることも産んでもない新卒社員からはおかあちゃんと言われることも経験する。心底、がっかりするけど

子供の頃、夏休みの宿題が終わっていなかった時と同じように
あの時の気持ちは覚えているけど今となればそんなに大きな問題じゃなかったと話せる日がくるんだろう。

だから、今がどんなに寂しくてもめちゃくちゃイラついていても
世界が横にや縦に広げれば底に漂う経験になるんじゃないかと最近考え続けている。

私の幸運が続けば、やがて血縁じゃない人からもおばあちゃんと呼ばれるだろう。
何の役にも立たないどころか他人の世話にならなければ生活が出来なくなり
誰からも必要とされない孤独な毎日を生きるのかもしれない。

でもそれも天に召されて振り返れば高~いところから見る(たぶん)ただの一つの経験だ。

年を取ることをマイナスに捉えすぎないで!というネット記事をサラッと読んだが、
間違いなくくることがわかっているのに絶望するのはおかしいよね。
世間に敏感になる前に命の本質を思い出して
老いることは絶望の数に入らないはず。

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