3日間の連休最終日、一日目はゆっくりと寝て溜まり気味の家事を片付けてバタバタと過ごす。
二日目は残してきた仕事が気がかりであれこれと思い出してはメールを打ったりする。
そして三日目になると仕事も頭から離れ、さしてすることもない。
子育てを卒業してから随分と時間がたったのにこんな日を過ごすようになったのは最近です。
おまけに朝から雨・・・
何もしないことに罪悪感を感じて自室の窓を念入りに拭きました。
雨の日は湿気があるから窓ふきには最適なんだそうです。
残りご飯で炒飯を作って、フライパンやまな板を洗って片付けて
それでもまだ昼の1時、窓の外はまだ雨がザーザー降っています。
同じく休みの夫を横目に見ながら
つくづくこの人は生きるのが上手いなぁと思います。
今日だけではなく、夫は何もすることがない一日を平然と過ごします。
ソファに座って動画を観たり、本当に寝てしまったり、好きなものを作って食べたり
そんなふうに長い長い連休を平然と過ごすことができている。
『人生は壮大なひまつぶし』
そんなふうに考えると私はひまつぶしに様々なものを必要としてきました。
勉強、読書、ガーデニング、インテリア、手芸、仕事・・・
あれこれと手を伸ばしては、もっともっと違う景色が見たい。
と思ってきました。
それは、もっともっと刺激が欲しいということだったのかも。
よく見ると家の中に夫の持ち物は少なくて私が集めたものがほとんど
そして、今になってもたった3日の休日を上手く過ごせない。
春の雨の日は気持ちよくて窓を開けると心を和ませる単調な雨音が聞こえています。
庭先に飛び出していく愛犬は雨に濡れて、飼い主にだけは香ばしく感じる体臭が漂ってる。
優しくて穏やかな一日を私は落ち着かない気持ちで過ごしてしまう。
気候も天候もお構いなしに慌ただしくする子供たちはもう独立したのだから
私も変わっていく時期になったのかも、いや変わらなくっては・・・。
私の実母はそそっかしいせいで何年かごとに怪我をする以外は健康な人なのですが、
さすがに80代になると体力も俊敏性にも衰えが出てすこーし社会で大人として生活するのに支障が出てきています。
3年ほど前まで現役バリバリで働いていたのですが、コロナ前に寝たり起きたりの生活になりました。
これといった病ではなく、強いて言えば心身ともに枯渇したようでした。
それが最近になって徐々に復活。
それまで毎日のように電話をしたり実家を覗きに行っては励まし慰めていた娘のわたしとしては嬉しい限りです。
ですが先日、仕事に復帰したいと相談された時は全面的に反対せざる負えませんでした。
枯渇したエネルギーが絶え間なく湧き出てくる保証はどこにもなく
仕事をしながら実母のフォローをする気力や体力は自分の中にもあまり残っていないと感じています。
「食べるに困るわけじゃなく、痛いところも苦しいところもないのに何の不満があるのよ⁈」
と私がどんなに頼んでも
「このまま何もしないで毎日をどう過ごせばいいの?」
実母も譲りません。
結局、話は平行線で実母は仕事を再開し始めたようです。
本当を言うと私には実母の気持ちは理解できます。
心の中に溢れている焦燥感は、こんな雨の日に私が考えることと似ているのではないかと思います。
私はあと数時間経てば明日のことを考え初め、鞄に支度を始める。
実母はいつ終わるともしれない気持ちを持て余し続けないといけない。
働かなければ誰かに必要とされなければ落ち着かないなんて
下手な生き方だな・・・。
しんどいな・・・。
そんな考え方怠け者なのかもしれないけれど、何もない日を楽しめるように準備することも50歳を過ぎればしておいた方がいい。
懸命に働いて子供たちに追いまくられて毎日クタクタな時が終わり
シンプルな日常
日差し、風、雨
花の香り、愛犬のフワフワ、清潔なシャツ
お気楽な身分と言われれば笑ってやり過ごすことが出来る余裕
そんなものにシフトチェンジしていきたい。
これほどの贅沢はきっとない。
許されるならその境地を味わいたいと考えてみた休日でした。
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